あなたが桜を愛でるのは『日本の美意識』を今も受け継いでいるから【日本人とさくら】②

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hikarunこんにちは。旅のお仕事をしているひかるんです。

あなたの人生に心豊かな旅が届きますように~♪

日本列島に桜の花の便りがくる季節となりました。

丁度出会いと別れの季節でもあり桜がより一層私たちの思いを深めてくれるようですね。

さて、桜のお花見に出かけると

  • 「どうして日本人はこんなにも桜が好きなんだろう」


と人の多さに驚きませんか?

 

実はこれ、「日本の美意識、価値観」というものが大きく関わっているようです。


いろいろ資料をみますと、日本に古くから伝わる「美意識、価値観」の観念的要素は、桜の花の姿と重なる部分が多いことが分かりました。

 

そこで今回は「日本の美意識」と桜との関係性についてのお話しです。

 

なお、▼「日本の価値観」と桜の関係性は下記よりご覧ください。

現在の各地の桜開花・満開情報はこちらから
日本気象協会桜開花・満開情報2022年

 

参考図書

 

『日本の美意識』について

そもそも「日本の美意識」とは、どんなものなのでしょうか。

 

結論から申しますと、『「自然観」や「宗教観」「日本文化」などの観念的要素が互いに影響し合って「日本の美意識」が生まれ育まれた。』ようです。

 

そして、その「日本の美意識」の根幹を成すとも言われるのが、下記の3つなんです。

・「日本の自然観」
・「無常観」
・「もののあはれ」

 

なんとなく難しそうですが…

 

ただ、これら3つの要素が桜に関わる「美意識」と深い関わりがあると考えられています。


ではどのような関係性なのでしょうか、ご一緒に見ていきましょう。

「美意識」は「日本の自然観」からはじまる

「日本の美意識」は、日本独自の「自然観」に由来するものがとても多いようです。

 

「人々が自然と共存する暮らしの中で見いだした」のが、まず美意識の始まりといわれています。

そこであなたは、幼いころどんな自然環境の中で育ちましたか?


美しい山や湖、畑、野原がある所ですか?それとも、海があり浜辺を歩いたりしましたか?いえいえ都市の中だから豊な自然はなくて…人によってそれぞれ違うことでしょう。


現代は自然を考える時、便宜上人間と自然は分けて考えるそうです。

そうすることで、科学的にも分析しやすいからです。


あと私たちの教育も幼い頃から分類されて学んできました。このようになったのは明治維新より西洋文化や科学を取り入れてからです。

人にとって自然は対自然、支配するものとして長い間扱われてきました。

しかし明治以前、つまり江戸時代までは違っていました。


人は自然と対立するのではなく自然に従い共生して生きて行く、恐れ敬っていく思いで接していたのです。


その自然と共存する中で美意識を見出しました。そしてそれは農耕生活から始まったのです。


それでは、少し詳しく「日本の自然観と農耕生活」について解説しますね。

美意識は自然と共存する農耕生活から生まれた

 

自然と共存する生活の中で美意識が始まったといわれますが、


その背景には、わが国が農業国であったことと深く関係しています。

 

なぜなら農耕生活と自然は切っても切り離せないからです。

 

ご存知の通り、昔は日本人の殆どは農業に従事していました。住む場所も何世代に渡って定住します。


その割合は、江戸時代で85%が農業に従事、武士は7%残り8%が商工業等でした。戦前の大正時代でも51.6%と過半数が農業が占めています。(総務省統計局) 



日本の気候は、温暖湿潤で四季がはっきりしており夏・冬の季節風、梅雨などもあるのでお米作りに適しています。そのため稲作中心の農業が古代から行われてきたのです。


昔の農業は機械もなく、自然に左右され、冬の寒さや天候不順に悩まされるのは当たり前。とても過酷で重労働でした。


そんな農耕生活において自然を深く知ることがとても大事です。なぜなら、生きていく生活の糧の全てだったからです。


それゆえ、人々は五感で自然を熟知しようとしました。四季の移ろいに敏感になり、たとえば、雲の形で明日の天気をよんだり、風が東から吹けば明日は雨、海風の強さで嵐と予測したのです。

そのような自然との毎日の関わりは、人々に自然に対する愛着や敬う感受性を育んでいきます。時には地震や台風、洪水と自然災害が起こると、その脅威に恐れ崇め敬う対象ともなったのです。

このようなことから、日本人の自然観は、「自然とは全て人間をも包み込むもので、恐れ敬い崇め共存していくものである」と考えました。と同時に自然による「美意識」も浸透していったのです。

では、この「自然観」と桜はどのような結びつきがあるのでしょうか。次に見てみましょう。

 

田んぼの神様と桜の関係から自然には神が存在する

自然と共生・共存する日本人の自然観は自然には神が存在すると考えました。


自然の中の多くの事物に対して神が存在するという考えです。


これは自然崇拝、精霊崇拝の多神教に基づいています。山に岩に木に川に動物に、そして人間にも神が存在すると考えました。


その神と人間を結びつなぐのが、祭祀(さいし)です。お祭りをして神を崇めます。それを行うために、のちに神社が造られました

これが日本の初の宗教、神道(しんとう)の起こりです。


そして、今回のテーマ桜も同様なんです。神が宿る木として神聖に扱われてきました。


これは奈良時代の「万葉集」に「桜」という言葉がでてくる時代のお話です。

木に宿る神さまとして付けられた桜は、田んぼの神様です。「サクラ」の「サ」という字は「サ神」を表し、「クラ」というのは、神様が鎮座する「台座」です。

古来、田んぼの神様は元々は山に居て桜の花が咲く頃に山から下りてくると考えました。

そして、神が宿った桜の木の下で、神様を崇めるために、食べ物やお酒をお供えしたのです。

祭祀を行いながら一緒に食しお祝いをしました。これがお花見の始まりといわれています。


以上、「日本の美意識」は、日本独自の「自然観」からの由来と桜との関係性についてご紹介しました。

「無常観」とは何?

次の美意識の要素、桜と「無常観」との関係性について見ることにしましょう。


まず、「無常」(※)とはこの世界の現象の全ては消滅して、とどまらないず常に移りかわっていくということです。


仏教の教えの一つですが、この「無常」こそが日本人が中世以来、長い間養ってきた美意識の要素であり、特徴でもあると言われています。

 

そう、移ろいゆくものに美を感じる傾向があるんですね。

これを桜に例えれば、桜の美しさの一つに散り際があります。

 

桜は美しく咲くのも短い、後は はかなく散っていく。ここに「無常」を感じ重ねるようです。


余談ですが、 西洋では逆に「永遠なるもの」を美とし追求していきます。


たとえば、現在桜の花見ツアーなどに行きますと、多くの外国人が来日し花見をされています。(コロナ禍以前です)

 

しかしかつては、桜の花見シーズンに外国人はわざわざ来日しませんでした。

 

なぜならば、ぼやぼやしていると桜はあっという間に散ってしまうからです。時期が難しいんですね。

 

西洋ではペチュニアやマリーゴールド等長く咲き続けてくれる花が好まれます。

 

末永く美として存在することに価値を置く西洋らしさかもしれません。

 

だから、日本人が咲いてすぐに散る桜を愛でるのは、西洋の人には不思議なことの一つなのかもしれません。

 

それでは、

 

なぜこの「無常観」が、日本人に受け入れられたのでしょうか

それは、最初の「自然観」と深く関わっています。

 

なぜなら、日本の風土気候は四季がはっきりしているからです。季節の移り変わりによって事物は常に変化するからです。

 

とどまらず常に移りかわっていく様子が、ちょうど仏教の「無常観」と深く結びつきました。

 


この「無常観」が広まった仏教ですが、少し歴史をふりかえりますね。



「無常」は仏教の考え方では、根底となるものです。



この仏教が日本に爆発的に広まったのは、飛鳥時代の聖徳太子の時です。その後、奈良時代に入り仏教は国策化されます。広く人々の末端まで浸透していきました



この時に前述した、「自然観」を持ち合わせていた日本人は、四季の移り変わりが「無常観」と深く結びつきます。

 

なぜなら明確に四季を表す日本の風土は、季節の移り変わりで同じ状態は続かない。常に変化していくことを知っているからです。ここに仏教の「無常観」を感じたのですね。

 

 

「自然観」と「無常観」の重なりは、自然と対立せず、自然と共に生きるという考え方も包括し、自然の流れに身をまかすことが美しいとも考えるようになりました。

 


さくらの花が咲き、瞬く間に散っていく様に起こる「無常観」は、散り行き失うものの共感を基調とする「美意識」です。



以上、日本人の美意識の「無常観」から桜に関わることをご紹介しました。

 

 

現在の私たちにとっては難しい概念かもしれません。ただ、長い歴史の中で見えないながら、お花見で愛でる心は今も受け継がれているようですね。

 

 

※「無常観」辞書では、「1仏語。この世の中の一切のものは常に生滅流転 (しょうめつるてん) して、永遠不変のものはないということ。特に、人生のはかないこと。また、そのさま。「無常な人の世」「諸行無常」⇔常住。(広辞苑)
とあります。

「もののあはれ」から日本人の美意識の根源へ


「日本の美意識」の要素の最後になりましが、「もののあはれ」と桜の関係を見ていきましょう。

 

「もののあはれ」とは、人の情感なるものをいいます。

 

物事や季節を五感で感じた時に、心の中でしみじみと感じ嘆息(ため息)するような状態です。そして、人の心の奥で感じたことを知り、人間の洞察力の深さを求めたのです。

 

桜との関連性では、満開の美しさ雅さや、儚く散りゆく様を感じる心でしょう。

 

その桜の花を愛でながら「あぁ」「おぉ」と感嘆する「もののあはれ」のこころと繋がっていくです。

 

実は「もののあはれ」は一つの言葉ですが、二つに分れています。
「もの」と「あはれ」です。

 

たとえば、「もの」は広義の「もの」を指し、「あはれ」は二つの感嘆詞で「あ」は、あっ!の感嘆詞。「はれ」も感嘆詞で「あ」と一緒に使って強めています。

 

では、この「もののあはれ」の精神はいつごろ生まれたのでしょうか。

 

平安時代の「もののあはれ」の精神を見出した本居宣長


本居宣長は江戸時代後期の国学者ですが、「源氏物語」(紫式部)の中に「もののあはれ」がいたるところに表現されていることを発見しました。そのため、「もののあはれの文学」ともいいます。

 

 

そこには、自然の描写や人物描写など、また和歌の表現にも「もののあはれ」があふれていたのです。

 

たとえばそれは、自然の移ろいであったり、人生の機微にふれた時に感じる悲しい場面、しみじみした情、あるいは仏の慈悲などの情趣を深く表わしていました。

 

実際、たくさんの感情の表現が出てきます。そう、人の豊かな喜怒哀楽です。

 

 

この「もののあはれ」は、これ以降の文学に大きな影響を与えました。情感が多く表現されていったのです。それまでは有っても、淡々と表わすだけでした。

 

「もののあはれ」の精神は平安貴族の理念となる

この言葉が生まれた平安中期、「もののあはれ」の精神は貴族生活の基底や理念となりました。

 

それによって、日本独自の文化、国風文化が生まれます。



この国風文化は
中国文化を取り入れ吸収し、日本人独自の感性や美意識が発展したものです。

 

 

この時「ひらがな」「カタカナ」が発明されます。さらに「大和絵(やまとえ)」「蒔絵(まきえ)」などの美術様式「寝殿造(しんでんづくり)」などの生活様式の基礎も築かれていきました。

 

実際、宮廷や貴族たちの生活や暮らしは繊細で優美、雅やかに洗練されていきました。

 

ちなみに、平安時代は京都で始まり(794)、貴族が中心だった世の中です。鎌倉幕府が成立するまで(1192)390年も長く続いた時代です。

 

以上、「もののあはれ」のことについて、解説しましたが、まさにこの言葉が「日本の美意識」の一つで国風文化の時代に生まれたものでした。

 


そして、桜を愛でる時の人の心の情調にも深く関係していましたね。


「自然観」や「無常観」ともつながっているようです。

 

桜の花が咲く、その姿にサ神が宿る神秘性を感じながら、花が咲き誇れば感嘆し、その後、舞い散れば無常観とともに「あぁ」「おぉ」とまた感嘆する「もののあはれ」のこころと繋がっていくのです。

 

「もののあはれ」の美意識の世界観と桜。日本人独自が生み出した美意識との繋がりがまた素敵ですね。

 

 

まとめ

いかがでしたか?
今回、なぜ日本人が桜の花をこよなく愛するのか?

その理由の一つに、古来より伝わる「日本の美意識」というものが深く関係していて、
その代表的な3つの要素

・「日本の自然観」
・「無常観」
・「もののあはれ」


をご紹介しました。


「日本の美意識」においては他にもありますが、桜との関係性ではこれら3つが代表的ではないかといわれています。

 



私たちは毎年あたりまえのように桜が咲くと花見に出かけています。

 

今回、このような記事を書くにあたっていろいろと調べるなかで、桜を愛でるときに湧き出る感情に、日本の美意識という見えない、奥深い伝統が自分の中にも有るのを知るようでした。


あなたも桜の花を愛でるときにどんな感情になれるか、どうぞ良かったら観察してみてくださいね。
もしかしたら「日本の美意識」の一つ一つを味わって頂けるかもしれません。そうなれればとても嬉しく思います。(^^♪

それでは、今日はこのあたりで失礼します。

 

長文を最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。

 

次回、またお会いしましょう♪

 

では、それまでお元気でいてください。


ごきげんよう~  ひかるん るん♪るん♪⤴

 

参考図書 ▼

 

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